ラスト神戸の実家    
Kobe Hanakuma

2012年 10月13日 ラスト神戸(花隈)

JOJO展のあと、飛行機に飛び乗って神戸へ帰った。

撮ったデータが壊れてて、「あの写真もあったのに〜!!」と悔しいが、残ってたデータでページを書いていこう。ようやく時間ができて、これを書いているのは、11月3日。あぁ、もう今日、あの実家は、うちのもんやないんや。

絶句でもないし、感慨無量でもないし、言葉にできん。

花隈の西口から出ずに東口から出て、目の前の『もっこす 花隈店』に直行。ラーメン大盛り(800円)を注文。美味い!

 ☆ ☆ ☆

神戸空港からポートライナーに乗って、三宮駅へ。17分。
三宮駅から阪急電車(神戸高速線)で、一駅の『花隈』。2分。
『花隈』駅から徒歩3分。

ハーバーランドへは10分。再度山の入り口、諏訪山公園には徒歩15分。

都心で、海も山も近くて、その割りに静かで人口は少ない。家は、地下室に防空壕があるほど古い。立派な庭もある。

こんな便利で、いい家がなくなるなんて・・・。

親兄弟(4人)の判断に驚いた。しかし仕方ないのか。おかんはすでに引っ越しを済ませ、とうとう今月いっぱいで売られることになった。早い、なんちゅう展開の早さや。まだ今年の正月には、おばあちゃんと一緒にお墓参りにいってたのに。

実家前の坂道の下からの写真。

当たり前やけど、朝も、昼も、夜も、どのシーンでもいろんな思い出がある。ただ、この夜の坂道を見上げる絵は、大学のときの記憶が一番強い。

何度酔っぱらって、この坂を上がったことか。三宮からは歩いて帰れるんで、終電を気にしたことがなかった。家はでかく、昔から人の出入りがある家やったんで、時には友人を連れて泊めることがあった。

木の鳴る音、高架を走る電車の音、坂を下る車の音、住んでるときはめっちゃ気になってた都市騒音は東京と比べると比較にならないほど静かや。

高い天井の家は、震災のときに全てなくなった。

阪神淡路大震災で、育った家はなくなり、今ある家はそのあとに建てたプレハブで、そんなに思い入れはない。それでも、それなのに、この土地から立ち上がってくる気脈のようなものに、揺籃のような懐かしさを感じる。体に染み入ってくる。

一人で寝る。

このことに意味がある。ゆっくり味わおう。

りん、りん、りんと鳴く虫の音。こんな立派な家も、こんな立派な墓も、また同じクラスを作ろうとしたら無理やで、というぐらい大変やのに、あっさりなくすとは。過去に囚われず、はええんやけどこれは残していくべきものやで。

縁側のある家に住みたい。縁側で、日長ぼーとしていたい。
とりとめないものを思いめぐらしてると、いつのまにか眠った。期待してたおじいちゃんとおばあちゃんは出てこなかった。

庭からは、モダン寺が見える。
モダン寺は、寺なのに窓にステインドグラスが装飾され、「モダンやなぁ」と呼ばれて、モダン寺。

再度山へ行く前に、朝の雑景を拾う。
小さいころ、この砂防ダムまでチャリンコで来たことがある。もちろん進入禁止やけど子供らには関係ない。「冒険」とか言いながら、ヤゴを捕ったりして遊んだ。

もうすっかり寂れてて、子供が遊びに来てるようなところでなくなっている。
通称、第3ダム。小学生のとき、ここで全校登山で飯盒炊爨とかした。

続いて、猩々池。

ほんま人気がない。土日で、天気もよくて、めっちゃ歩きやすいハイキングコースやのに。
いつも頼む定番に加えて、奮発して、おでんも注文した。ここのおでんを初めて食べた。味が染みてて美味しい!

燈籠茶屋の燈籠。

山手女子の裏山コース上から諏訪山神社の裏手に出て、そのまま市街地に入って、中華同文学校、関帝廟を通り過ぎて、実家へ戻る。

庭の写真を撮りまくってみた。
この池にもなぁ、鯉がおったときがあったのに。
うちの前、神戸セミナーの上は、今はマンションになってるが、その以前は、日本で唯一異人館に泊まれるホテル、神戸雅叙園ホテルがあった。
駐車場に、その名前が残っている看板を見つけた。
正太も、ぼくと同じく親兄弟たちの判断に、「ありえへんわ」派。親兄弟たちは、このお墓までもなくす、と判断をくだした。実家だけならまだしも、ますます「ありえへんっ!」。

お腹のなかに赤ちゃんのいる、正太の嫁さんとも一緒にお墓参り。草むしりを3人でやりはじめると、かなり綺麗になった。
ご先祖さまがいて、こうやってあなたたちの子供たちは未来へとつながっていく。

正太たちと大倉山公園の『もっこす 本店』でラーメン。ぼくは2日続けてやけど、ぜんぜん大好き。

正太たちを送ったあとレンタカーを返却して、実家の戸締りをして、神戸を去る。あっさりした実家との別れとなった。

きとやん日記