海外公演    
Overseas tour

2006年 5月26日 ジュリアクリーク → クロンカリー / 8日目
朝、日が昇ると、やはりすぐに、みんな部屋の外に出てきました。部屋の中は落ち着けません。

日向ぼっこしたり、コーヒー飲んでまったりしたり、ぼくは昨日はしゃぎすぎて破った海パンを補修しました。

不器用な手で、ちくちく縫いました。
そんなときに事故がありました。WONDERBUSのプロデューサーであり、プロジェクトのリーダーが怪我をしてしまいました。

出発する直前のことで、転んで顔面をコンクリートに打ちつけてしまいました。そのとき眼鏡が割れて、その破片で左頬から瞼へかけて骨が見えるほど深く切ってしまいました。すぐに、縫合手術が必要でした。

すぐに病院へ行きました。
こんな田舎ですが、たまたま心臓外科医のドクターがいて、すぐに治療をうけることができました。この応急処置が、本当に適切でした。(後々、縫合の跡が全くわからないぐらいでした)
手術の間、ぼくたちはずっと心配していました。一人一人が心のなかで無事を祈り、待ちました。

手術は成功しました。ドクターからは「整形が必要だろうから、もう一度、きちんとした病院で診て貰ってください」と説明を受けました。
早々に、マウントアイザへ移動することになりました。いろいろ近くの空港など調べましたが、マウントアイザからシドニーへ飛行機で戻って、病院へ行くのが一番最良でした。

こんなときでも、お腹は減ります。
横の席でランチを食べている、おじさんがいました。よく見ると、さっきのドクターでした。
バスはクロン・カリーを経由して、最終公演地であるマウント・アイザを目指しました。

「ほたえすぎた」

怪我を負った直後に、鏡をみながらコノミさんは言うてました。項垂れている大怪我人には、しばらく安静にしてもらいます。
2006年 5月26日 クロンカリー → マウントアイザ
ジュリア・クリークからマウント・アイザまで232kmです。今までのなかで一番長い道のりです。クロンカリーで給油し、またバスを走らせました。

A4〜A6ハイウェイに入ってからずっと携帯がつながらない環境でしたが、クロン・カリーに着いたとたん、みんなの携帯が一斉に鳴りました。全員が、慌てて携帯をチェックする様子がおかしかったです。

ひたすら真っ直ぐの一本道です。
ぼくは、ずっと窓から顔を出していました。

風にあたり、変化がない景色でも、ぼくには瞬間瞬間ダイナミックに変化しているように見えて、ぜんぜん飽きませんでした。ずーっと、顔を出して見続けました。風にあたっているのが気持ちよかったです。

(ぼくはきっと前世は、ワンちゃんやで)と思いました。なんとなく確信に近いものでした。

周りの景色に、赤土の岩山がふえてきました。地面からにょきにょき生えているのは、蟻塚だそうです
遠くに煙を吐く巨大な煙突が2本、見えてきました。
まもなく、最終公演地のマウント・アイザです。

マウント・アイザは、映画『天空の城ラピュタ』の冒頭のシーンの参考となりかけた所です。結局、ウェールズを参考にされたそうですが。

鉱山で発展した一大都市で、人口はなんと20,000人!

ぼくたちはタウンズビルからハイウェイを1000km走破してきましたが、その間、目立った町も産業もありませんでした。ひたすら真っ直ぐの道でした。

そこに突然現れた産業大都市です。荒野のど真ん中に、鉱山を中心に栄えた大都市です。人間の力はすごいです。
楽しみのひとつ、夕食がきました。

今夜のキョウヘイはさんざん迷って(いつものことですが)、
『リブ・ステーキ with ベジタブル』を選びました。無難です。至極無難です。
ツアー終盤に来て、ようやく悟ったようです。無難が一番。ステーキなら間違いはない!、と。

そして付け合せをベジタブルかサラダか選べます。ベジタブルは温野菜のことで、サラダは生野菜のことです。

内陸のここでは、生野菜に期待できません。ヒューエンデンではベジタブルが美味しくて、種類もいっぱいありました。
ベジタブルを選びました。

『リブ・ステーキ with ベジタブル』のリブ・ステーキは少し硬かったそうです。しかし何よりも、ベジタブルが「こんなに食えるか!」というぐらい添えられていました。
生茹のじゃがいもとニンジンの山盛りでした。

キョウヘイは「明日こそは!」と吼えてました。


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