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2011年 7月16日 宮城県入り
【神戸中央卸売市場ボランティア有志の会】として獅子舞で参加しました。ぼくは、これが初・被災地入りです。ぼく、ほそちぃ、ふだクンと旦那さんの5人が参加し、現地で本家の獅子舞メンバーと合流します。

東京〜首都高〜東北道を使って、宮城を目指しました。
東北道は、福島県に入ったあたりから、ところどころで道がうねってたり、道路が陥没し片側車線規制などがされてました。
それでもこうやって主要幹線が通ってることは、とても重要だと感じました。

これが宮城県まで続きました。どれだけ長い距離が、地震の被害を受けたんやろう?
何時間も高速を走ってきた距離の全部がです。なんて凄まじい地震のエネルギーなんやろう。
仙台東ICで降りて、いくつかトンネルを越えると、真っ暗なのでよくわかりませんが、町を通っているのに、街灯や人家の灯りがありませんでした。信号も点いていませんでした。時々、看板の照明や信号が点いている町を通過しましたが、【営業中】の看板はあっても果たしてオープンしているのか。

ぼくらは、自衛隊などが拠点としているホテルに泊まりました。ここから女川の小学校まで15分ほどです。

海に面したホテルで、ここは湾内なので波は立たず静かでした。
満月が、明るく海面を照らしていました。
2011年 7月17日 宮城県 女川町第二小学校(運動公園)
ガタイが良すぎる各県の機動隊の人たちと朝食をいただき、出発。

目的地の学校は、入り江を一つを越えたところです。
女川湾が目の前に飛び込んでくると、5人とも絶句でした。

壊滅・全滅です。
(動画、25秒

そのときの津波の恐ろしさは・・・・。もし、ぼくがそのときここを歩いてたとしたら、ぼくはどう思ったんやろう?なり振りかまわず高台へ走ったやろか?
ちょっとでも波に足をさらわれていたら、きっと助からなかったやろう。引き波のほうが恐ろしいかもしれない。
朝、7:30集合。神戸から本隊が到着し、早速、屋台の設営に取り掛かりました。

しかし今日は暑い!真夏のような日差しで、肌がひりひり焼けます。気温はすでに30℃を超えて、昼は34〜35℃の予想。みんな、無理しないようにね。

総合施設の横に、テニスコート広場があり、そこに四国の自衛隊が駐屯していました。被災者が使える洗濯場、お風呂場があり、あとは炊事場もありました。

お風呂は四国からの部隊なので、
『弘法の湯』。正式には『野外入浴セット』と呼ぶそうです。

部隊によって名称が違うそうで、各被災地でそれぞれの湯、例えば『尾張の湯』(中部方面)や『六甲の湯』(関西方面)などがあるそうです。
それらは重油が燃料で、コートの隅っこは空いた重油缶置き場になっていました。
ここは海岸から3・4km離れているうえ、かなりの高台のところにあるにも関わらず、小バエの量がすさまじかったです。
お酒と砂糖をペットボトルに入れた簡易小バエ採り器は、1日で一杯になるそうです。
こんなボトルがあちこちに、ぶら下がってました。
ミニ夏祭りとして、そばめし、唐揚げ、フランクフルト、フライドポテト、タコせん、かき氷、コーヒー、ホットケーキ、輪投げ、ヨーヨー釣り、スーパーボウル掬いなどの屋台。
生田神社の獅子舞、東京だむだん連の阿波おどり、さらに南京町の獅子舞です。

たくさんの方を噛んでまわりました。
東京だむだん連さん。
(動画、18秒

だむだん連さんは合計3回も演舞されてました。猛暑の中、ご苦労さまでした!
南京町の中国獅子舞から1頭が参加し、だむだん連さんと一緒に踊りました。

阿波踊りの音色に合わせて、日本の獅子舞と中国の獅子舞の3つが踊るなんて滅多に観られないのではないでしょうか。
ぼくらの他にも、いくつか支援団体が来ており、衣服を提供しているところや、お餅を揚げた地元のお菓子を振舞うところがありました。

そして、この日はマギー審司さんが来ました!
360°モンキーズさんが前座を務め、マギー審司さんが登場。大いに沸きました。
ぼくらも現地の方たちと一緒に座って、『ラッキーくん』を観ることができました。そして『でっかくなっちゃった!』
マギー審司さんは写真を撮りやすいように、「こっち向いて〜」の声にすべて応えてくれました。

いや〜やっぱりプロの方は素晴らしい!出てくるだけで、みんながわくわく期待し、期待以上の爆笑がありました!やっぱり笑いの力は大きいです。気持ちが一新され、また頑張ろうと思わせてくれます。

定番のネタと合わせて本物のマジックもあり、贅沢なものを観させていただきました。ありがとうございました!
だむだん連さんと、神戸中央卸売市場ボランティア有志の会の皆さんと集合写真。

だむだん連さんは、このあと東京へ帰ります。
神戸の本隊は、このあとまた10時間ほど掛けて、神戸へ戻ります。皆さん、おつかれさまでした!

ぼくらは、このあと福島を目指しました。
帰り、あらためて女川湾を見ました。
コンクリート、鉄骨関係なく壊滅している一帯。

匂い、波の音、小バエ。

波の音はほとんどしません。ここは入り江なので、普段とても穏やかなのです。だからこそ、入り江の奥まったところまで津波が来るなんて想像しなかったかもしれません。

ぼくらと同じように、ボランティアで来た方が、この光景を写真に収めていました。地元近郊の人がタクシーで来てる方もいました。車は徐行し、道路が悪いせいもありますが、みんな息を飲んでこの光景に見入ってました。
上・右の写真の、土手の上には、湾を一望できるためたくさんの方がいました。何を思い、何を感じるか。一人一人の胸に何か考えさせるものがあったと思います。

今できることは?

そして10年後、20年後、50年後、100年後。この地震と津波を体験した人たちが、どういう未来を築いくんやろか?そして何を伝えていくんやろか?

この地に足を運び、この光景を目の前にして、とても得るものがありました。できれば一人でも多く、被災地へ足を運んでほしいと思いました。
2011年 7月18日 福島県 いわき市
夜、宮城県から福島県入りし、いわき市にある、元獅子メンバーの実家宅に泊まらせていただきました。

「なでしこジャパンが勝ったよ」のお母さんの第一声で起きました。サッカー女子ワールドカップ杯で、日本が優勝しました。アメリカを倒しての優勝です。素晴らしい!
やっぱり、ここいわき市の海岸沿いも津波でやられてました。昨日、宮城で見た光景と同じものがありました。日本の、どれだけ広範囲に及んでいるんやろう?

さらに、福島は原発事故の問題が立ちはだかってました。

これが宮城とは違うところで、「頑張れば復興できる」というレベルではありません。一人一人が頑張ってもどうしようもないことを抱えながら、ここで生活し、生きていく。
海岸沿いに、津波で破壊された船や自動車がありました。
廃墟で、獅子舞の練習。
♪ピヒャラララ〜

演舞は、元メンバーのご実家が経営されているボーリング場で行いました。全員出動したので、踊っている間の写真がありません。残念!
南北に500km、東西に200kmに及ぶ広範囲。
地震で地面はえぐれ、歪み、津波で町が全滅、住むところがなくなり、多くの人が命を落とし、また行方不明の方たちがいます。そして原発事故。

いわき市から東京へ向かう、常磐道は、3連休の3日目にも関わらず、ガラガラでした。3連休の行楽シーズンに、福島方面へ行く車が少なかったということです。
原発事故の影響は、こんなところで如実に出ています。

宮城に1日、福島に1日だけの滞在だけでしたが、たくさんのことを考えました。行って、よかったです。

行き帰りのオフショット集は、コチラ

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