きとやん日記                       
 2011年3月11日〜4月12日

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2011年4月12日(火)
ちょうど1ヶ月目にして急激に余震が増えた

昨日11日は、本震からちょうど1ヶ月経ったとき、急激に余震が増えた。

震度1以上の余震
  9日(土)・・・20回 (うち震度4が1回、5弱が1回)
 10日(日)・・・ 8回 (うち震度4が1回)
 11日(月)・・・78回うち震度4が6回、5弱が3回、6弱が1回
 12日(火)・・・61回 (うち震度4が8回、5弱が2回、6弱が1回)、20時現在。

太平洋プレートが沈み込んだために起こる現象で、内陸プレートの反発が起こっている。福島県浜通りと長野県北部に集中し、しかもかなりデカイ余震が都心でも震度3〜4が頻発してる。ただし内陸で起こっているんで、震度の割りにマグニチュードは弱い。何よりも
地震に慣れてしまった自分が怖い。

11日と12日は1時間に5・6回あるような感じや。有感地震を含まずでこれやから、もっと体感していると思う。

M9.0がいかにすさまじいエネルギーかということや。
もし、この地震のエネルギーを電力に変えることができたら、一気に日本が抱える問題を解決する。誰か発明して〜!日本の外周に電線を引いて、地震エネルギーを回収できるようにしたらええねん。

どや、このアイディア?

2011年4月10日(日)
神楽坂もんじゃ

7月に獅子メンバーが結婚披露宴を行う。そのカップルと呑もう!ということになり、神楽坂へ向かった。
お店の名前は『神楽坂もんじゃ』。歩道に小さい看板だけあって、2階へあがる狭い階段をあがったところにある。お腹いっぱい、もんじゃや鉄板焼きをいただいた。美味しかった。何よりもお店のご夫婦さんが気さくで楽しかった。たらふく食べて呑んで、大満足!
右の写真は、神楽坂をぶらぶらしてたときに見つけて、
『まんぢうカフェ 麦マル2』のおまんじゅう。白生地&チョコ、160円。出来立てのおまんじゅうは、うまい!心があったまる味やった。(写真

2011年4月10日(日)
本震から1ヶ月が経って

今日は春らしいポカポカ陽気。のんびりした日曜日や。

本震から1ヶ月が経とうとしている。
まだ避難所には
15万3,800人の人たちがいる。被災者と復興支援者たちの極度の疲労がニュースから伝えられる。
1ヶ月経っても、まだ先行きがぜんぜん見えない。これが一番しんどいと思う。


「いつまでこんな避難所暮らしが続くのか?こんなところにいつまでもいる訳にいかない、どうしよう?でもすべてなくなった・・・。目先のことはまったくわからない。でもいつまでも・・・」

と、毎日堂々巡りのように不安がよぎっていくに違いない。ボランティアの人たちへの感謝の気持ちもある。好意に甘えてばかりいちゃダメとわかってる。「いつまでも・・・、でもどうやって・・・」と、そればかり考えるやろう。
踏ん張ってほしい。


ぼくのときはどうやったやろう。
1997年1月17日5時46分、家は半壊し近くの中学校へ避難した。12日目に友人宅の風呂に入らせてもらって雄たけびをあげた。避難所から自宅へ通い、使える家財道具を運び出し、友人宅の空き部屋に運ぶ毎日。20日目で大阪の友人宅にしばらくいさせてもらうことになり、25日目にして会社へ復帰してる。

1ヶ月以内で会社に戻っているが、それでも気持ちは限界に近かった。

それが、今も津波にのまれた家族を探すのが続いているかと思うと、想像を絶する。くれぐれもご自分の体を大事に、そしてしぶとく生きてほしいと願う。

2011年4月9日(土)
映画『漫才ギャング』

完全にお仕事です。
3月12日公開で4月15日で終了。地震直後の公開やったから、モロに影響を受けた。今日のレイトショーには6・7組の20代が多く、案外ウケてた。見せ方のテクニックは上手い。話しはオーソドックスで、ライトテイストな味付けを「おもろい」と感じてもらえれば勝ちやね。

2011年4月8日(金)
国立西洋美術館でレンブラントを鑑賞
光と影の魔術師と呼ばれるレンブラント。光を絵に描こうと、光を探求したレンブラント。

油絵を期待して行ったら版画のほうが多かった。展示案内を見ると「版画を中心に・・・」とちゃんと書いてあった。あらら。

『白い帽子の女』が一番印象的やった。
この白い帽子が、ほんとふわっと浮き上がって見えた。まるでそこにあるかのような質感!触って手に取りたくなるような感覚になる。
近くでみると油絵の筆使いでわかりそんなに緻密でないように思えるのに、離れて見ると一転して、なんと緻密で計算された絵なのか!と驚く。
これ、個人所蔵の作品。

上野公園の桜見物。
強風が吹き荒れ、どんより曇り空。あいにくの天気やった。(写真
2011年4月7日(木)
余震という規模やない余震

さっき余震といえない余震があった。
東京でもえらい揺れた。

大田区は震度4。
横揺れから、すぐ縦揺れになって、長く揺れた。1分弱ほどあり、ガタガタガタガタガタ、と揺れた。この前のと比較して大きくない」と思ったが、この感覚はおかしい。もしさっきのが平常のときの単発だったとしたら、「かなり揺れた!」と大騒ぎしてたと思う。それを「大したことなかった」なんて・・・。

テレビは一斉に、全チャンネルが地震速報のニュース画面に変わり、津波警報が発令された。M7.4。震度6強。宮城や福島の街では停電した。

2011年4月7日(木)
納品がてら散歩か、散歩がてら納品か

納品を理由にして、てくてく散歩。
うちの会社から目黒川沿いに歩いていくと、ちょうど納品先や。

ちょっと早かったかなぁ。
あと2・3日で満開になりそうや。

写真


2011年4月5日(火)
純米酒『信濃錦』

純米酒『信濃錦』。
旨味がしっかり味わえた。3日でなくなってしまった。
一升瓶を買おうかどうしようか。

2011年4月4日(月)
都心で流れ星を見た!!!

さっき、22:01、石川台駅近くの呑川沿いから、流れ星を見た!!!
都内で初めてかも!(1回は火球のようなものを見たことがあるが、見間違いかもしれんと思ってる)

やったーーーー!!!!


黄色いっ光でかなり大きめ。崩れるように流れて消えた。

都心の一等星でも五等星ぐらいに見える明るい空で、あれだけ光って見えたということは、結構な人が見たんとちゃうかなぁ?
北西の方向や。

調べたら、なんと今日は土星が衝になる日。なんか特別なもんやったんかなぁ?ええことあったらええな。

2011年4月3日(日)
紋かるた

去年の獅子舞クリスマス・パーティでもらった【紋かるた】。紋(組香というらしい)と、源氏物語の代表歌が書かれて、やってみた。

 歌の句カードが54種。
 下の句カードが54種。
 巻名のカードが54種。

いくつか遊び方があるようで、「歌の句をめくって同じ紋を探す」遊びをやってみた。
さぁ、何分かかるかな?

 ☆ ☆ ☆

ARCADIAのリマスター盤についてたPV集のDVDを観た。
"Missing"が美しい。ぜんぜん今でも通用する!鏡面した水面に浮いている感じを、ふわふわした透明感がある不思議な映像。多重露光?ライティング?コマ撮り?編集?一つの芸術作品や。何度観ても飽きへん。(YouTube

2011年4月2日(土)
期日前投票と映画『塔の上のラプンツェル』

東京都知事選の期日前投票に行ってきた。投票用紙には住民票の写しがいる、と書いてあったがいらんかった。大田区役所の投票所は空いてて並ぶことなく5分とかからず済んだ。
出たところで、読売新聞さんからアンケートを求められた。これが出口調査か〜!初めて受けた。
石原さんの都政の評価を問う設問が2つあった。

 ☆ ☆ ☆

映画『塔の上のラプンツェル』を行ってきた。泣いた〜!
すんごい映像が綺麗やった。流れる金髪、躍動感あふれるキャラクターたち、夜空に舞うランタン、すべてが超一級品の絵画やった。
ところどころにディズニーらしいお茶目なアクションは子どもたちを大喜びさせるであろうし、さすがディズニー、素晴らしいストーリーとキャラクターたちに仕上がってた。大人も十分楽しむことができる。お城とプリンセスのおとぎ話や。娘を想う両親の気持ちが、ラプンツェルの夢になっているという設定だけで泣けた。

とうぜん2Dで観た。「一段二段暗い映像になるのと、綺麗に観える方だと、どっちを選ぶ?」や。ぼくは、
より綺麗な映像を見たい。

2011年4月2日(土)
コッヘルでご飯2合を炊く

ストーブは、イワタニ・プリムスのP-133Sエクスプレス・スパイダー・ストーブ。分離型で、世界最軽量のシングルバーナー。使いやすい。7,400円。

ガス・カートリジは、プリムスのハイパワーガス 250T。安売りに騙されてハイパワーにしたけど、ノーマルで十分やった。しまった。500円。

コッヘルは、ユニフレームのトレイル・スクウェア・コッヘル3アルミニウム合金。チタンが流行ってるけど、アルミニウムのほうが熱伝導率がいい。4,500円。

先日買って、まず煮沸消毒した。ほんで、今日は試しにご飯を炊いてみた。鍋(大)で二合が焚ける。カレーはボンカレー。キャンプっぽいね〜。
お味噌汁は昨晩の残りの、あさりの味噌汁。目玉焼きは、コッヘルのフライパンを使ってみた。いっぺん使って、使い慣れておかなね。それとご飯がうまく炊けるかどうかやっといてコツを覚えておきたい。

 ☆ ☆ ☆

米二合をといで、20分ほど水に浸す。
 ↓
強火で5分ぐらい。
結構音はでかいなぁ。この音(映像)、久しぶりや。あ〜、音ってそのときの情景をふっと思い出さすね〜。
 ↓
弱火にして、10〜15分ぐらい。コツコツ、という音が聞こえてきたら止める。
 ↓
蒸らす。放置するだけ。この間に味噌汁を温めて目玉焼きを作った。さぁ、ご飯炊けたかなぁ?開けた!「おーーー!めちゃ綺麗に焚けてる!!」

ボンカレーをかけて、ぱくっと一口。

「え〜完璧やん!焦げなし、水加減よし、硬さもバッチリ!」
あかん。失敗して「やっぱり2、3度やらなあかんなぁ」と言うはずやったのに。

2011年4月1日(金)
本を衝動買い
今日、あらためて政府より『東日本大震災』と名づけられた。

スーパーに行ったら、商品はだいたい揃うようになってきたが、タマゴがめちゃ高くなってた。
いつもなら、180〜200円で売ってるのが、今日は266円やった。
牛乳は知らない銘柄のものしかなく、224円。
セルフのガソリンスタンドで、レギュラーが148円/リットル。

今日は映画の日。『ザ・ファイター』と『塔の上のラプンツェル』を観ようと思ったら、節電のため『ラプンツェル』の2D版は、昼間の上映がなかった。
『ザ・ファイター』だけ行った。クリスチャン・ベイルの演技が素晴らしかった。トムクルーズ似のこの人。映画『プレスステージ』でも素晴らしかったし、嫌いやない。

本を衝動買いした。
川崎DICE(4F)のあおい書店で、2時間弱ほど物色した。あっちのコーナーをうろうろ、こっちのコーナーでふむふむ。どんどん手に持つ本が増えてった。

『永遠の0(ゼロ)』のあとがきで、児玉清が熱く語ってたなかで、紹介された
坂井次郎の『大空のサムライ』。アマゾンのレビューを見ると、どれも評価が高かったんで、購入。ドイツ行くときに持っていく本を探してた。これはぴったりや。サイズ(ページ数)の最適やし、飛行機のなかで零戦の話しを読むっちゅうのがおもろい。

今、
竹内敏晴の『ことばが劈(ひら)かれるとき』を読んでる。1975年に刊行された本や。文体が古い。
そんな古い続きで、ちくま文庫特集しているコーナーがあり、ふと、これが目に入った。
鈴木大拙の『禅』。1965年に刊行された本で、日本人が書いてるのに、訳者がついてる。
禅って、日本の文化やと漠然と思ってたけど、中国のものやってんね。ちょっとこれ読んで勉強したい。

夢枕獏の『上弦の月を喰べる獅子』(上・下)。1989年に刊行されたもので、新装されて平積みされてた。つい手にとって、買ってしまった。

それと、友達にあげる絵本。
この絵本を選ぶときが、一番時間を食った。絵本コーナーにかなり長くいた。
いせひでこさん(絵本作家、夫は柳田邦男)を初めて知った。これは子どものための絵本やないで。大人のための絵本や。『大きな木のような人』を手に取った。うわぁ〜、こんなすごい絵本があるんや。子どもにはもったい。などと、気になる絵本を手にとっては、うわぁええ本やなぁを繰り返してた。
2011年3月31日(木)
百田尚樹『永遠の0(ゼロ)』

百田尚樹の『永遠の0(ゼロ)』を読んだ。
最初タイトルを見ただけでは、なんや算数をテーマにした本か?と思ったけど、零戦の話しやった。

ぼくと姉を軸に、特攻で死んだ祖父を調べていく。関わった人たちの証言をもとに、祖父=宮部久蔵という男の生き様は浮かびあがってくる。凄腕の戦闘機乗り、すさまじい空戦と艦戦、南方の悲惨さ、それらを知ることができた。ちょうどNHKの『なぜ日本人は戦争へ向かったか』を見たばかりやったんで背景がよくわかった。戦時中に生きた人々の、揺れ動く気持ちや悩みがじんじん伝わってきた。もりもり涙がこみあげてくる。一つエピソードを重ねるごとに涙が流れ、ラストにぼろぼろ泣いた。

ずるい書き方や。構成から何から何まで計算しつくされている。小説は小説。フィクションや。これでいい。もういっぺんラストを読んで、また同じように心が震えて、泣いた。

2011年3月30日(水)
ACのCM ♪ポポポポ〜ン
昨日から、ACのCMが極端に減ってきた。

♪ポポポポ〜ン
これ好きやなぁ。『あいさつの魔法 60秒バージョン(YouTube)』。

歌っているのが矢野顕子さん説というのがあるが、曲名探偵団というデータベースで調べると松本野々歩さん、イラストレーターはyukkyさんやった。
このあいさつの魔法は、ネットで、いろんなバージョンが公開されてる。みんなのテクニックに驚く。

この2分9秒バージョンがおもしろい!
2011年3月29日(火)
余震の数が減ってきている

月曜は、朝7時37分に宮城沖で震度5弱の大きな余震があった。でも、ようやく余震は少なくなりつつある。
震度1以上の余震は、28日(月)で20回。うち震度3以上が9回。
今日29日(火)は、震度1以上が15回。うち震度3以上が3回。(18時の時点で)

 ☆ ☆ ☆

仕事は、例年、この時期比較的落ち着いてくる。今年(2010年)は夏休みを取らず、有給をぜんぜん取得してなかった。なので、落ち着いてくる3月にちょこちょこ休もうと思ってた。しかし地震で休めず。ようやく今日1日だけ取得できた。

映画『ブンミおじさんの森』を観に行ってきた。シネマライズ渋谷は、火曜日は1,000円や。
2010年カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞した作品や。年配の人が多く観に来ていた。うーん、訳わからん映画やった。話しはわかるけどちょっと散漫な感じやった。

防災グッズを兼ねて、ハイキングのときに使う
ストーブコッヘルを買ってしまった。キャンプグッズをちょっとづつ揃え、いつか1泊2日のハイキングへ行きたいなぁなんて思ってる。

2011年3月28日(月)
放射能除去装置が欲しい

「一進一退の状況、予断を許さない」と言われている。いやむしろ状況は、悪くなりつつある。水が放水されたときは、これで少しづつ良くなっていくかも、と思ったが、ここ2・3日は絶望的な状況へと進んでってる。悲観的に煽ってるんやなく、かなりヤバイ。昨日は、プルトニウムが原発周辺で発見されたと報道された。

これは炉心が融解している証拠や。しかも、それが格納容器から漏れている。
めちゃくちゃやばい。ダブルショックや。
注水して原子炉を冷やしたいが、それがダダ漏れになって、放射生物質と触れて周辺地域へ拡散している。水で冷やしたいが、その水が作業の邪魔をする。相反する作業を、成立させなあかん。難題が次から次へと襲ってくる。
高温状態が続く→ベント開放で対応→水素爆発で建屋が吹っ飛ぶ→次々に吹っ飛ぶ→現場及び周辺の放射線濃度が高すぎて近づけない→土壌からプルトニウム発見→・・・・。

今後どうなるねん?でも「もうダメだー」と放り出せない。現場では多くの人たちが、過酷で劣悪な環境のなかで、決死の覚悟で任務にあたっている。雑魚寝で、朝はビスケットと野菜ジュースが1本だけらしい。そら、むちゃくちゃ厳しいで。

すべてが限界に近づきつつある。でも、諦めることはできない。諦める・止めるという選択肢はない。誰かが、最後までやりとげなければならない。

こんな、やることなすことすべてが困難な直面にぶち当たってると、
「放射能除去装置が欲しい!」と思った。「ヤマトに乗って、イスカンダルまで行き、コスモクリーナーDを取ってきてくれ」と言いたい。そんなアニメの世界でもいいから、すがりたい。

もしぼくが被災者で、「今何が必要ですか?」とテレビインタビューを受けたら、「放射能除去装置が欲しいです」と答える。きっとオンエアーされないだろうが、そうすれば真面目に、原発事故が解決すれば水の買占めはなくなるし、野菜の摂取制限もなくなり、農業と漁業も安心して続けられると思う。
経済活動が活発になればこそ、被災地は早く復旧できる。このままでは、ライフラインや仮設住宅の問題が解決されても、経済活動が成り立たない。お金が入らなければ生活できない。

日ごろの報道のおかげで、原発の構造にも詳しくなってきた。原子炉を真横から捉えたイラスト図は、最初はシンプルで、建屋のなかに原子炉格納容器と原子炉圧力容器が描かれているだけやった。そこに4号機の水素爆発で使用済み核燃料プールが書き加えられ、2号機の圧力抑制室(サプレッションプール)の欠損でその絵が加わり、水たまりで被曝したときにはタービン建屋が足された。そして、施設外の立て坑トンネル(トレンチ坑)の絵も追加された。これとは別に燃料棒のイラストがある。核燃料<ペレット<燃料被覆菅<燃料棒<燃料集合体となっている。
これら
イラスト図が日に日に詳しくなっていく。まるで原子炉の授業を受けているようや。ベクレル、シーベルトとおよそ人生で知らないで終わる単位まで覚えてしまった。

原発では、決死の覚悟で任務にあたっている人たちのモチベーションがいつまで続くか心配や。
それとは逆に慣れが怖い。人間はどんな極限状態に置かれても、それが続くと、それが普通になっていく。まして放射線は見えないんでなおさらや。

2011年3月27日(日)
来週、いわき市へ行こうと思ってる

3月24日(木)の日経の夕刊に、『被災者にかけない方がよい言葉の例』が載ってた。まさしく、そうそう!と思った。

ぼくも神戸の震災のときに、2週間も3週間も経ってくると、ボランティアの知らん人から「頑張ってください!」と言われたら、
(言われんでも頑張っとうわ!)と腹が立った。同じく「前向きに考えよう」も、(わかってとうっちゅうねん。せやからこうやって頑張ってんねん!)と腹が立った。ごめんなさい、と思いつつ正直そうやった。
それだけナーバスになってた。

ボランティアさんは優しい気遣いで言うてくれてるんは重々分かっててめちゃ感謝してる。それがどれだけ励みになったことか。でも、2週間も3週間も経ってくると、こっちは精神的にボロボロで、だんだんボランティアさんの相手するのに
(なんでこっちが気ぃ遣わなあかんねん)と思った。
特に
、にわかボランティアにそういう人が多かった。わかってる人は、いてるけどいてないをやってくれた。

被災者にとって、家を失い2週間3週間も経ってくると、避難しているところが
日常の場になる。極端に言うとそこが住まいや。ボランティアさんから見たら非日常かもしれんが、ぼくらにはそこが日常やった。この感覚のギャップを知っておいてほしい。

2011年3月26日(土)
映画『ツーリスト』

ついで観(み)で社販チケットで買ってた映画『ツーリスト』。まさか、行くのを控えてた映画鑑賞の一発目がこれになるとはなぁ。ほんまは『ザ・ファイター』との2本立てで観にいくつもりやったけど、1本にしておこう。まだ怖い。

映画『ツーリスト』。
アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの超豪華俳優らに、高級リゾート。そこに小粋なストーリーが加わり、まるで往年の名画のようやった。
ありえる、ありえないなど理屈は置いといて、頭をからっぽにして楽しめた。映画らしい映画やった。特に、50 60歳代にお薦めや。わかりやすいし、観ていて疲れない。じっくり俳優の表情やベニスの景観などを楽しめる。
劇場は案外混んでた。先週まで川崎地区が計画停電の影響と109がまだ再開してない影響やろう。

でも、映画館ほど危険なところはない。
柱が少なく、天井には重いスピーカーがある。一般の人は、この危険度を知らんやろう。せめて座ったら天井を見上げて、スピーカーがどの位置にあるか確認してほしい。もしも、というときはそれを避けられるように把握しててほしい。

しかし、今日もめっちゃ寒い!!!
北東の風が吹き荒れてるし!春の嵐と呼ぶには、冷たすぎる!
都内で2〜10℃。明日はもっと寒くなるらしい。

2011年3月25日(金)
春なのに
最近の日差しは陽光を帯始めた。昼間の日差しは、もう冬のものやない。気温は低いが、それは冬の寒さやなく花冷えのように感じる。もうすぐ4月や。

春なのに、晴ればれとしない。

 ☆ ☆ ☆

ツイッター、フェイスブックともに一過性。やっぱりぼくは、HPで一方的に書くのが向いてんのかなぁ。

例えば、ここ最近、ぼくは睡眠時間が短くなってきた。でもそんなに眠くない。
過去のを見ると、2009年の4月5日にも同じようなときがあった。そんなことがすぐに調べられ、その前後を含めて「あ〜、あのときは・・・」と思い出すことができる。リアルの辞書を調べてると、ついでに前後の文字まで読んで、新たな発見があるような感じや。 
2011年3月24日(木)
ペットボトルの水でご飯を炊くときは、最初に?最後に?

地震のときに、テレビ番組が実験をしていた。限られたペットボトルの水でご飯を炊くとき、最初に研ぐときに使ったほうがいいのか、最後に使ったほうがいいのか?

ぼくは、最後に使うほうやろうと思った。
それで浸すんやもん。
最初のは、洗い流すだけや。

ところが結果は【最初のほうが美味しい】やった。
えー!そんなに差が出るんか?!米の芯まで吸い込むのは最初の水で、後は表面を洗い流すだけらしい。ほとんどが炊いているときに、水蒸気となって出ていくねんて。へ〜!

 ☆ ☆ ☆


原発で任務にあたる消防隊員たちの映像が公開された。
整列した彼らは、覚悟の表情をしていた。その姿を見ただけで、なんか涙が出てきそうになった。心から「頑張ってください!」と願った。自分の命、そして地域住民や広く国民の命を賭けて、彼らは作業にあたっている。
日本で一番かっこいい男たちや。
同じく被災地で任務にあたっている自衛隊員たち。日ごろから鍛錬し、すごいパワーで復旧活動を行っている。素晴らしい。
敬服する。
きっと、消防隊員や自衛隊員になりたいという子どもたちが増えるやろう。

数日前から福島県を中心とした葉物野菜の摂取制限が出て、出荷停止となっている。
そして昨日は都内では、水道水を乳児が飲用とすることを控えるようにと発表があった。放射性ヨウ素131
(半減期が8.06日)が検出された。

水の買占めが始まった。水、水、水。
神戸の震災のときは水道がとまった。あのときは大阪や姫路などの周辺地域はそんなに被害がなかったので、すぐに物資の支援が届いた。水やおにぎりなどいただいた。
しかしライフラインの復旧には時間がかかり、困ったのが生活用水やった。

六甲の美味しい水で顔を洗えるか?トイレを流せるか?」

「いや〜それはもったいないで
」と、そんな無駄遣い、贅沢遣いはできへんと、流してもいい生活用水をどうやって確保するかが問題だった。あのときはペットボトルの水はあった。

2011年3月23日(水)
朝、震度5強の余震が連続。

朝、ちょうど通勤が始まる頃に、震度5強の余震が連続しておこった。福島・茨城沿岸沿いの直下型や。

7:12 5強 福島
7:13 4  福島
7:21 3  福島
7:34 5強 福島
7:36 5強 福島
7:53 3  福島
8:03 3  福島

都内でもわさわさ揺れる。
このボロアパートは不動産屋がしっかりしてて、耐震設計の調査をしていた。引越し書類には
「耐震設計基準を満たしていません」と書かれてあった。そのときはなんも気にならんかったけど、今、これだけ震度1、震度2程度でわさわさ揺れてギシシと何か軋む音がすると、「耐震設計基準を満たしていません」の文字が脳裏でピコーンピコーンと明滅する。

マグニチュード9.0のエネルギーはすさまじく、1年以内に震度7の"余震"が起こると言われている。地震は、本震から逓減していくという。でも本震がでかすぎたんで、逓減しても、震度7→震度6→となる。

このアパートは築20年ぐらいや。本震でガスが停まってときに、ガスの元栓があるボックスを開けた。そのとき、アパートの構造内部にはアスベストがたっぷり使われているのを発見した。もしこのアパートが倒れたら、えらい迷惑やで。

2011年3月22日(火)
緊急地震速報

12:39、フロアーのあちこちで携帯が鳴った。緊急地震速報や。

緊急地震速報
福島県で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)


携帯電話のエリアメールを設定していると、緊急地震速報があると、
♪ギュイン、ギュイン、ギュインと大音量で鳴る。数十秒前に知らせてくれるので、少なくとも"気持ちの備え"ができる。それだけでも効果は大きい。しかしこの速報は今回の震災で各地の震度計が壊れているため、誤作動や知らせることができなかったりする。それはそれ。ちょっとでも知らせてくれるだけでも助かっている。

今日は震度1以上の余震が、28回。うち5回が震度4以上。でかいし、多い。

東京は一日中、小雨が降り、かなり冷え込んだ。最高気温は7℃までしから上がらなかった。
暖房需要が増えたんやろう。計画停電は実施された。

計画停電をなんとなく「今だけ〜」という雰囲気があるが、そんな急に発電所ができるわけやない。いくら今ある設備の稼働率をあげても、被災したのは40%以上で、復旧の見込みなしの状況や。
夏もこのままで突入することをわかってるんやろか?
夏の需要は7,000万kw。それに対して、今必死に供給できるのが3,500万kw。たったの半分や。それでも計画停電している。それは予想で200kwオーバーしてるからや。ちょっとでも足りないと【いきなり、どこかで、大規模停電】が発生する。

三寒四温。春になっていけば、暖房も冷房も使わないちょうどええ気候になる。今から、「夏をどうすんねん?」を考えてるほうがええ。それは個人ベースでもあるし、企業ベースでもある。
今、いろんな店舗で、エアコンが停められている。以前から「利かせすぎ」と思ってたのが、停められて、ぼくとしてはちょうどええぐらいや。これが当たり前になってくれればええのに。あらためて、生ぬるい贅沢のなかで生きてたんやなぁと実感した。
夏は冷房がなくてもええような体にしてったほうがええな。

と書いてる、21:04、でかい余震や。結構長く揺れてる。

2011年3月21日(月)
3連休はおとなしく

この3連休は部屋でおとなしくすると決めている。
というわけで、暇や。

土曜日は、まだNHKが地震特番だったので、そればかり見ていた。歴史上最悪の自然災害とそれに伴った原発事故に対して、リアルタイムで選択と決断をしていく国を見ている。

民放は、日曜から通常放送に戻ってきた。バラエティなど、こういう気晴らしも必要や。見ないけど。
昨日は24回余震があった。うち震度3以上は9回。
今日だけでもすでに18回の余震があった。まだまだひどい。

たまったビデオをみた。
NHKスペシャルの
『なぜ日本人は戦争に向かったのか』全4回は、とても勉強になった。ぼくは中学・高校・大学とぜんぜん勉強してこなかった。今更のように「だからか!」と納得できた。4回の構成は素晴らしく、日本を取り巻いていた世界状況、日本が歩んできた道、組織の肥大化、メディアの暴走、リーダーたちの判断など、そういったことをわかりやすく解説してくれた。

『TAROの塔』も観た。第3回以降は震災の影響で、放送未定になっている。放送再開が楽しみや。ぼくがドラマを観るのは珍しい。

あまりにも暇すぎて、フェイスブックを登録してしまった。フェイスブックだとまた違う情報が得られるんかな、と思ったのが間違いの元やった。おそらくmixi、twitter同様登録したけど幽霊登録になるやろうな。
どうも、この生真面目な性格上、返信などあれば「返事しなくちゃ」と思ってしまう。ところが、この「・・・しなくちゃ」が、僕には向いてない。ぼくはどこまでも自由でいたい、縛られたくない、という思いが強い。
だから、このホームページで一方的に、不定期に、勝手きままにつらづら書いてるのがいい。一番、自分でいられる。発信したい気持ちは多いにある。でも、それを強いられたくない。

今日は、朝から小雨が降っている。
こういうのをなんというやろう?(ネットで調べたら地雨と書いてあった)

2011年3月20日(日)
今日は大安で

今日は大安で、本当はメンバーの披露宴の日やった。
が、この地震で順延になった。

もし、行われていたら、天気は晴れ。気温は17℃で春らしい披露宴となったやろう。

しかし、披露宴を予定していた11:30から14:30までの間で、余震が4回。うち1回は、震度3の比較的大きいもの。会場が28Fだったので相当揺れたやろう。それを考えたら、賢明な判断やったと言える。
また近い日に披露宴が開催されることを、楽しみに待ってる。

5月の海外公演用の『旅のしおり』を、ぽちぽち書いた。
ドイツ公演は国際民族舞踊祭と言って、13ヶ国が参加する。日本の参加はオマケみたいなもんやったけど、今回の大災害で、注目されるやろう。
『地震・津波・原発』について訊かれると思う。彼らにとって、直接日本人から聞けるチャンスなんて、そうそうないやろう。ぼくらが行く意味は大きい。

2011年3月20日(日)
ARCADIAの『SO RED THE ROSES』

晴れている。電車と車の交通量が少なく、これだけだとのどかな休日のようや。
あ、また余震。10:31。(福島沖、M5.7)
さっきもあった。10:13。(岩手沖、M5.1)

出かけるのを控えてて、パソコンに向かっている。
もともと切れそうになってた米を頼んでた。一緒にラーメンやレトルトカレーなどさっき届いた。『好きやねん』が好きやねん。

BYORKを聴きたくなった。切実に身を切るように歌うのが、今の心境に合うんやろか。BYORKをかけながら、これを書く。

今年はいい雪で、しかも真冬みたいな日が続いたのでロングシーズンだったのに、スキーに行けない。リフトに乗っている間に聴くウォークマンに、ARCADIAを入れよう。♪Missingが白銀のゲレンデに合う。そう思いついたときに、ARCADIAを知っとう奴なんておんのかな?と、何の気はなしに検索したら、なんとアルバム『SO RED THE ROSES』にデジタルリマスター盤が出ていた。

デジタル・リマスター盤

買ってしまった。自分がオリジナルを持ってて、リマスター盤なんて買うのは初めてや。
(真ん中の写真がリマスター盤のジャケ写、下がオリジナル盤)
ぜんぜん音が違う!ひとつひとつがクリアになって音が立ってる!

2011年3月19日(土)
18:56 でかい余震

東京でもすごい横揺れがした。
かなりでかかった。

昨日、今日と静かめやったけど、こういうでかいのがあると、体がびくっとする。
まだまだ余震が怖いときなんや、とあらためて知らされる。

震源地は、震度5強、茨城県北部。深さ20km、マグニチュード6.1。
都内のここ大田区では、震度3。
余震のあと、しばらく、ドドドドと小さく揺れるのが続いた。余震の余震。しょんべんのキレが悪い感じや。

今日は震度1以上の地震が、10時〜18時まででたったの8回やった。こんな感じで起きてる時間の有感地震が少ないと、気分的にかなり楽やった。「もう大丈夫かな?」と思ったりしてた。

2011年3月18日(金)
洋服の青山、電気消せ〜!

節電が徹底されている。
一般家庭では、暖房を消したり照明を消したりしてる。


ネットで『ヤシマ作戦』と広がり、こんなちょっとした言い換えで、真面目な行為を遊び気分で捉えるのはいい。ぼくも『ヤシマ作戦』、実行中や!

と、ふと窓の外を見ると、『洋服の青山』の看板が煌々と点いていた。おいおい、その看板ネオンは、もともと歩道を歩く人も、走る車も、そんなマンションの上だと誰も見られへんもんやん。

不要、不要!真っ先に消さんかいーーー!

2011年3月18日(金)
神戸は・・・

朝、雪が谷大塚駅のホーム。
「今日は本数が減っているのに、昨日よりも空いてる!」と思ったけど、五反田に向かうごとに増えていき、旗の台で満員になった。池上線は、五反田と蒲田を行ったり来たりする3両編成の私鉄。山手線に直結している、主要幹線とは思えない。昼間に乗ると、のどかな雰囲気が漂っている。

 ☆ ☆ ☆

新聞に
【大規模停電】【疎開】の文字が並ぶ。
まるで戦時中のようや。

 ☆ ☆ ☆

今、原発の前には命がけで日本のために働いてくれている人たちがいる。海外からも
「彼らこそ英雄だ」と賛辞の声があがっている。被災地では、"今の"食糧がなく、寒さに耐えながら、衰弱死している人たちがいる。

そんななかで、一部の東京人は原発さえおさまればいいと思っているフシがある。
「放射能、放射能」とうるさい。「赤ちゃんがいるから心配だ。外に一歩もててない」と、その極端なのが、東京脱出。赤ちゃんを抱いた母親が新幹線のホームに並び始めている。
ぼくは、また極端なことを言っているようだが、
(またぼくの極端論が始まった、と自分自身が思いたい)、事実、東京ではそういう人たちがいる。こういう人もいて、不眠不休でぼろぼろになりながら必死に働くひとたちもいる。いろんな人がいて当たり前だが、利己的な人ほど目立つ。

原発に向かって水を散布(注水とは思えないが)する映像をみて、あのヘリの操縦士や乗務員たちは、ほんとにいろんな
覚悟をして任にあたっているんやと思う。
被曝する可能性があるところや。「俺はあそこへ向かえるのか?」と考えたやろう。「何のために?」と考えを進めたと思う。「隊員だから、仕方ない」と諦めて?
いや少なからず、「日本のため。日本国民のため。自分の家族のため」と覚悟して行ってるやろう。

放射能は目に見えない。
怖い、怖いというが、それは情報が言ってるだけ。

火があれば、そこに突っ込むには相当の勇気がいるとわかる。でも、
目に見えないものに対して命を懸けられるんやろか?もし、身近な友人が、「あそこに行ってくるわ。上空から散布するねん」と言うてきたら、ぼくはどう言葉を掛けるんやろう?

東京電力の東京にいる経営陣と、福島の現場で命懸けで働く社員たち。なぜあんなに温度差が違うのか?と腹が立つ。メディアもそう叫ぶ。でも東京に住むごく一部の人たちは、東電の経営陣と違わない。現場で汗水たらす者たちとの差は埋まらない。

 ☆ ☆ ☆

神戸は、自粛ムードで、コンビニやスーパーの照明が消され節電しているらしい。
心配してくれる神戸の友人に返信した。

「コンビニのお弁当コーナーには、じょじょに品数が増えつつあります。供給量は十分なようですが、都内は買占め行動がひどいです。

どうも、東京は極端に走る人が、多いように見受けます。

スーパーでは、一人が買ってると、ぶわ〜っと大勢がたかっていきます。ガソリンスタンドは大行列ができて、すでに、ほとんどが売り切れになりました。それと「放射能が怖い」と言って、京都や大阪のホテルへ逃げる人たちがいます。いずれも極端な話しですが、極端な例やないです。

計画停電は実施されたりしなかったりしています。それに対しては思ったより混乱していません。多くの人が、案外あきらめ気分でいてます。

飲食店やデパート・スーパーなど開店時間が短縮されていたり、閉店しているところが多いです。宴会や結婚披露宴などキャンセル・順延になっています。余震が多いので、安心して酔えないからだと思います。それと交通手段に心配があるためです。

東京の通勤圏は、1〜3時間の人が多くて、首都圏の動脈のような路線は止まってませんが、枝線のところほど運休になっています。
一般企業では、今週は自宅待機のところが多いです。会社は、昨日の【大規模停電のおそれ】があってから、節電がようやく徹底されるようになってきました。エアコンは停められ、室内灯は半分だけになり、コンビニなどの自動ドアは開けっぱなしになっています。

車両の通行量は、7〜8割ぐらいになっています。タクシーは減ってないので、一般車両が減ったぶんタクシーが多いように見えます。普段の都心と比べると静かです。

余震はまだまだあり、その規模も震度3や4のものがあり不安を感じます。余震の数や震度の大きさは、神戸のときの比ではないです。
被災地と直接関係ないところは、逆に、消費を多くして経済活動を活発にさせないと、結局、被災地が復興しないと思っています。自粛ムードは仕方ないですが、お金はじゃんじゃん浪費してほしいです。お金は天下の回りもの。使わないと回らないと思っています。」

2011年3月17日(木)
貴志祐介『新世界より』
さすがに映画には行けてない。
行こうと思ってた作品はいくつかあるが、(もし、観ている最中にでかい余震があったら…)と想像すると、行かれへん。それに、びくびくしながら観ても楽しくない。

地震がある直前に、貴志祐介の
『新世界より』を読みきった。
ちょっと難癖つけたいところがあったけど、
(難癖は後で書く)、おもろかった。今も、いろんなシーンを思い出して、この本の世界を楽しんでいる。

次に何読もっかな、と本屋を巡っても、なぜかピンとこない。ぼくは、小説が好きや。小説のコーナーをぶらぶら歩いても、どの作品も手にとりたいと思わない。本選びは直感に任せてるが、その直感が小説に手を出させようしない。

映画と同じで、どうも今は、作品に没頭してしまうことを嫌がっているようや。本を読んでいる間は、ぼくはどっぷりその世界にハマる。いわゆる時間を忘れてしまう。今、地震の真っ最中のこのときに、そうなるのが怖いようや。

『新世界より』を読んでて、情操教育について、ちょっと読んでみたいと思った。以前から、教育問題や洗脳には漠然と興味があった。ちょっと前に"積ん読"で買ってた
鳥山敏子『親が1ミリ変わると子どもは1メートル変わる』を読んだ。

一気読みした。ベテラン教師だった鳥山さんが、親に絶望を覚えて教師を辞め、それが、新しい学校を創っていく過程が書かれている。めちゃ、おもろかった。人生の生き方が体験談として書いてあった。絶望に始まり、自分を見つめなおし、立ち上がり、周りに助けてもらい、今もなお手探りで、よりよい社会を目指しておられる。

シュタイナー教育というのを聞いたことはあったが、これはいいと思った。"教育"ということを真正面から捉え、真剣に考えてる。素晴らしい学校だと思った。もし、子どもがいたら、この学校に入れたいと思った。

ぼくのパターンで、一つのジャンルや作家にハマると、それに突っ走る傾向がある。ネットで注文したのが、
"はっちゃん"と竹内敏晴の本を合わせて3冊。"はっちゃん"については、読んだときに、またここに書くやろう。

さて、『新世界より』の難癖や。

回想録という手法がダメ。なんで、そんな客観的な構造にしたのか。そのせいで、これを書いている主人公を想像しながら読んでしまう。だから、いつまで経っても客観的な視線になってしまう。つまり、熱中できへん。
それはそれでもええんやけど、文中に「私は意識が朦朧として…」とあるのに、そのときの情景や周りの人物たちのセリフなどが細部まで描かれると、興ざめしてしまう。
だって、この回想録を書いているのは"わたし"で、そのなかで「そのとき私は朦朧として・・・」とあれば、周りの情景や人物たちのセリフなどがつらづらと出てくるはずないやん。
主人公になりきってたぼくは、それが破綻してしまうと一気に現実に戻されて、再び本にはまることができなくなってしまう。
2011年3月17日(木)
大規模停電のおそれ
朝9時。通勤列車に乗る。もともと混まへん池上線やけど、いつもの半分以下の乗車率や。立ってる人がまばら。自宅待機の会社が多いんかな。ちゃんと社員を心配してくれててええなぁ、と思った。それと飲食店などが開店時間を短縮したり、閉めている。そのせいもあるんやろう。

うちも言うてみれば機関産業や人の生死に関わる産業やないから、今こんなときに出社させんでもええのに。無駄に電気を使いまくっているように思える。
以前から暖房をつけながら、暑すぎてオフィスでは扇風機を回すほど【アンチ省エネ】の会社。メールでは「省エネに徹底するように」と言うてくるが、実際は違う。上から言われるから「一応言うてる」みたいな感じや。
ときどき理解に苦しむ。


16:15、「16:30にサーバーを落とします」と連絡があった。えらいすぐやん、と思ってたら、16:40、「政府から大規模停電のおそれがあるから・・・」とその理由が告げられた。そっかこれだけ寒いからみんながんがんに暖房を使ってるんや。
そのあとすぐに「帰れる人は帰宅するように」と言われ、サーバーが落ちて仕事ができなくなった人たちからどんどん帰宅していった。

ぼくも17時すぎにあがった。

朝、人が少ないなぁと思ってたけど、帰宅に向かう人たちで溢れていた。初めて、池上線の五反田駅ホームの入場規制を見た。多分18時、19時になるともっと混むやろう。
2011年3月17日(木)
日経新聞の一面の大見出し

地震翌日からの、日経新聞の見出しをあらためて見てみた。
一般紙と違い、地震に関する見出し文には慣れてないような印象を受けた。

12日、土曜日。
朝刊 【東日本で巨大地震】
夕刊 【津波被害 甚大】

13日、日曜日。
朝刊 【原発の炉心融解】

14日、月曜日。
朝刊 【計画停電4月末まで/M9.0 世界最大級】
夕刊 【原発3号機も爆発】

15日、火日。
朝刊 【石油備蓄放出 民間に促す/2号機も燃料棒損傷】
夕刊 【放射線量が異常値】

16日、水曜日。
朝刊 【原発危機回避へ注水続く】
夕刊 【福島原発 冷却急ぐ】

17日、木曜日。
朝刊 【円急騰、79円台東日本で巨大地震】
夕刊 【円最高値 76円台/原発冷却 ヘリから放水】

2011年3月16日(水)
今日もすでに47回の有感地震(20時現在)

1時間に2〜4回、多いときは10回近く有感地震がある。
それとは別に、
うちの会社の地下には、自走式の大きなロータリー型の駐車場があり、それが動くと「ガコンッ!」と大きい音がしてフロアが揺れる。結構揺れるんで、最初はいちいち驚いてた。会社にいると、この揺れと地震の違いがなくて、何が地震かわからなくなってくる。この慣れが怖い。

2日前は、春を跳び越した暖かさやったのに、今日は真冬に戻った。風が冷たい。帽子、手袋がないと凍える。
明日はもっと冷えるらしい。最低気温が1℃で、最高気温が8℃らしい。うへ〜。

今週いっぱいは休み(自宅待機)というお客さんが多い。
うちは、そうでない。

今日も14:00ちょうどにエリアメールがきた。昨日とまったく同じ文面やった。


ふと、この3月中旬は、4月の新学期や新入社員などの引越しピークのときや、と思った。
無事、東京に引越しできてるんやろか?
えらい地震が多いのに、例えば九州からくる人は、わざわざ地震の真っ只中に来る訳や。見送る家族は心配やろな〜。
さらに、東京は福島原発の放射能(放射線)騒ぎで、極端な人は東京から脱出する人がおる。そういう大使館も出始めた。

「3号機、空中から海水を注入」というニュースが流れた。でもどう見ても、自衛隊のヘリがでかいバケツを吊って、原発にぶっかけてるだけやった。
「注入とちゃうやん」と思ったが、なりふり構わないぐらいのところにきてるんやろう。不謹慎かもしれんが『焼け石に水』の文字通りで、『焼け原発に水』と思ってしまった。
東電の対応は稚拙すぎて腹立たしいを通り越して、すでにあきれているが、それでも尚、今この時点で、200人のスタッフが福島原発に残り、(もちろん安全な施設にいるが)、いろんな作業にあたっている。
この
作業にあたる人たちは、日本の命運を握っている。くれぐれも被曝に最大限の注意を払って、それが何よりも大事で、その上で根性で作業にあたってほしいと願った。今、日本で一番『死ぬか生きるか』の思いで仕事をしている人たちや、と思った。日本が誇れる人たちや。頑張ってほしい。

枝野官房長官は最前線に立って、国難に立ち向かっている。説明はとてもわかりやすいし、納得でき、すべてに対して誠実な姿勢でいてはる。記者からケンカを売っとんか?と思うような質問に対しても、すごく丁寧に、誠実に、きちんと答えてはる。素晴らしい!

19時すぎ、早めに会社をあがった。
五反田はいつもより人が少ない。それに歩いている人たちはみんな足早や。家路へ急いでいる。

2011年3月15日(火)
地震発生から5日目

国難の、史上最悪の地震。予兆はなかったのか?

「茨城の海岸にクジラが50頭打ち上げられてた」、「ニュージーランド地震のときにも現地海岸でクジラが打ち上げられてた。同じ現象だ。」とか言われるが、それは置いといて、予備震はなかったか知りたい。

神戸のときは「地震雲を見た!」という自然現象系、「犬、カラスが騒いだ」など動物系などいっぱいネットにあがってた。現時点で、今回の地震についての、こういうネタはネットにあがっていない。少ない。
やっぱり
後付けなんかな?

まず地震の回数を調べてみた。発生地域やプレート、マグニチュード、震度などを細かく分析すべきだろうが、素人的にわかりやすく、"震度"だけを基準にデータを拾ってみた。
震度1以上の地震は、毎日日本全国のどこかであり、おおむね4〜7回ぐらいは普通にある。


震度1以上の回数
  9日 23回・・・うち20回が三陸沖。
 10日 15回・・・うち14回が三陸沖。
 11日 午前に5回、そして14:46に本震。そのあと95回。あわせて101回。
 12日 152回。
 13日  61回。
 14日  50回。
 15日  48回。

やっぱりあれだけでかい本震やったから、本震前にその地域の回数が、急激に増加してた。
余震が起こる理由は、またぜんぜん違うだろうが、同じ尺度で"震度"の回数を数えてみた。


震度4以上の回数
 11日 37回・・・最大震度は7。(多数)
 12日 37回・・・最大震度は6強。(多数)
 13日  5回・・・最大震度は5弱。(8:39宮城沖5弱)
 14日  5回・・・最大震度は5弱。(10:14茨城沖5弱)
 15日  3回・・・最大震度は6強。(22:34静岡東部6強、22::38福島沖6強)

やっぱり、これだけのデータじゃさっぱりわからんね。13日〜15日まで急激に減ってて、パワーを溜めているフシがある。もう一度、弾けてもおかしくない。
「マグニチュード7クラス以上の余震が18日までに起こる確率が40%」といわれる所以かな。

2011年3月15日(火)
電車が空いてた(池上線)

セルフのガソリンスタンドは、昨日、見たことのない大行列を作ってて、今日は売り切れて閉まっていた。
通勤時間やのに、電車は空いてた。

昼ごはんを食べに五反田をうろうろしたら、いつもより昼間の人口が少ないように思えた。
お客さんのなかには、自宅待機のところが少なくなかった。なのに、うちは、お客さんが「発売延期」と言うてくれん限り、作り続けなあかん。現場は、ほぼ全員出社や。とほほ〜。

 ☆ ☆ ☆

福島第一原発の4号機が、
爆発した。
「え?定期点検中で稼動してへんかったんとちゃううん?」と驚いた。
福島第一原発は、1号機〜4号機まであり、ニュースでは、毎回「4号機は定期点検中ですから置いといて・・・」と言うてたのに・・・。

地震で全炉が緊急停止。制御棒は正常に働いた、というニュース。
それが、しばらくしてから、1号機から白煙のニュース。
そして冷却水がストップし、爆発!
すわっメルトダウンか?!などの情報が飛び交うなか、「建屋だけが吹っ飛んだ水素爆発」と説明があった。
そうこうしているうちに3号機も冷却水が止まり、そして、また水素爆発。
2号機も、冷却水がとまり、爆発。圧力抑制プールが破損。
すると、定期点検中で安全だったはずの4号機で火災事故。なんで???3号機の爆発の残骸?

放射能漏れが最大の懸念。「関東圏まで及んでくるのでは?」という風評が流れたりするから怖い。そんな風評に乗って、東京から脱出している人も実際にいる。

日経新聞の夕刊の1面には、【放射線量が異常値】
黒ベタ抜きの大見出しがついていた。うーむ。

 ☆ ☆ ☆ 14時00分 携帯にエリアメールが届く ☆ ☆ ☆
国民の皆様へ

 3月11日に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、電力需給がきわめて厳しい状況になっていることを受け、3月14日から、東京電力管内において計画停電を実施しているところです。本日は気温の低下が予測され、昨日以上に厳しい状況になるものと考えられることから、国民の皆様におかれましては、引き続き徹底した節電をお願いいたします。皆様のご協力をお願いいたします。

(内閣官房(節電啓発等担当))

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

19時すぎ、帰宅した。雪が谷大塚駅の東急ストアもオオゼキも閉まっていた。セブンイレブンのお弁当コーナーには、ほとんど何もなかった。

街のネオンや店舗の明かりは節電で控えめになっている。
電車の本数は少なく、人の流れも今日は少なかった。いつもと比べて街は静かや。 

2011年3月14日(月)
計画停電

テレビを点けると、電車の本数が減っていたり、運休になったりしていた。計画停電の影響や。
しかし6:20から実施される直前に、6:00、第1グループの計画停電が見送られた。「需給のバランスをみて、計画停電しなくてもいい」と発表された。

さらに
、7:30、東京電力が「10:00から第1グループの停電を実施するかもしれない。その地域は突然ストップするかもしれない」と発表された。

混乱してる。

経済的な(それにつながる政治的な)絡みなどが、きっと東京電力だけでは判断ができへんことがあるんやろう。
電車のことを考えて早めに出社すると、「今日は
自宅待機」と言われた。この時点で1割ほどの出社率。午後になって5割ほどになった。

いかに大変で、恐ろしかったか、訴える会社の人たち。情報不足や混乱した指示に文句を言う。そんな大騒ぎしている周りに対して、冷めた目の自分がいた。
「まだマシ」と神戸と比較してるんやく、周りが何かのイベントのように幾分楽しんでることに、あきれた。
「オレはこんなに大変だった」と、競って自分のことばかりしゃべる人たち。まるで小学生の"ケガ自慢"や。ええ歳してても知性はその程度か。
「おれはあのあと、飲み会に行って、朝まで飲んだ」と、骨太さをアピールする人。もし、そこで大きい余震がきて被災しても、自己責任でいてほしい。仮に、極端な話し、死んでも。でも死んだら、家族や会社にえらい迷惑を掛けることになる。だったら・・・という想像力と、周りに対する思い遣りをもってほしい。

 ☆ ☆ ☆ 11時20分 携帯にエリアメールが届く ☆ ☆ ☆
国民の皆様へ

3月11日に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、電力需給がきわめて厳しい状況になっていることを受け、本日から、東京電力管内において計画停電が実施されます。本日は初日であり、立ち上がりの午前中は、特に徹底した節電をお願いいたします。皆様のご協力をお願いいたします。

(政府 内閣官房)
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今日はホワイトデー。
いただいた人へ、お返しをプレゼントした。

イベントや観光などが、自粛ムードに包まれるけど、こんなときこそストップさせるとダメ。そんなことすると、より経済復興が遅れる。それが神戸やった。

今は最大限に復興に支援をそそぐべきやけど、周りの経済活動まで自粛になると、結局、支援活動する側に元気(経済力)がなくなり、継続的な支援が困難になる。そうすると、支援は単発的になってしまう。
ちゃうちゃう、
必要なのは継続的な支援や。物質面と、人の心にね。

直後に「大丈夫?」と気遣ってもらっても、その場では「うん」と答える。そらそやで。単発的な気遣いも大事やけど、被災者には、ずしっと心にダメージが残っている。長くフォローすることが大切や。

 ☆ ☆ ☆

五反田駅の東急ストアが閉まっていた。雪が谷大塚駅の東急ストアは開いていたけど、米・乾物・生鮮食品・缶詰・牛乳などの棚は何にも残ってなかった。

テレビは、多くの局が
(のぞくテレビ東京。さすが!)24時間で地震報道をしている。民放のCMが『公共広告機構』ばかりになってきた。企業がCMを控えている。

土曜日にネット注文した本が届いた。早い・・・!

2011年3月13日(日)
でかい余震が、何回も続く
都内で、震度3以上の余震が何度も続く。その頻度は神戸のときの比やない

神戸のときもそうやったけど、だんだん多少の地震をなんとも思わなくなってくる。でも、本震で感じた"怖さ"を体は忘れてない。余震のたびに"またか!"とびびる。
この回数が多いんで、"もう来ない"とか"大したことない"と思ってる。頭はそうかもしれんが、体はビビッてて余震のたびに何か重いもんが蓄積していく。

12:00、気象庁が観測データを正確に分析して、本震の
マグニチュードを8.8から9.0へ変更した。

福島第一原発の1号機に続いて、3号機も緊急冷却装置が働かず、炉心融解もしくは水素爆発の可能性が出てきた。

長原のオリンピックに行ったら、【懐中電灯・ガスボンベは売り切れました。震災関連商品は少なくなってきています】の貼り紙がしてあった。
コンビニに、ようやく配送があったみたいやけど、お弁当コーナーは半分くらいしか補充されてなかった。関東一円の、お弁当を作る工場が被災してるせいや。

だんだん余震が、長野中部や南部、茨城沖など南下してきている。15:14には、東京湾のど真ん中で震源の余震があった。
本震があまりにも巨大すぎて、余震が普通のクラスだったりする。
余震の孫みたいなのが頻発している。

17:58、地震発生からずっと出ていた
津波情報がすべて解除された。大津波警報→津波警報→津波注意報→解除。大津波警報を見るなんてこれっきりやろうな。

20:00、菅首相より、14日(明日)より
計画停電を了承した、と国民へのメッセージがあった。これで、東京電力の管内を5グループに分けて、3〜4時間おきに停電されることが決まった。
この直後から東京電力のhpにアクセスできなくなった。
外出時は主電源を消すとか、部屋にいるときもなるべく照明を消して、(エアコンはもともと滅多につけない)、徹底して省エネしよ。節水もしよう。

自分は無事でも、狭い日本、すぐの隣人が被災している。被災地の惨状や、体育館などに避難している人たちの映像を見ると、あのつらさがよみがえってくる。今、その真っ最中の人たちがいる。今は国がひとつになって、国民ひとりひとりが気持ちを一つにして、踏ん張るときや。

「日本人はすばらしい。日本人がんばれ!」
2011年3月12日(土)
放射能漏れ・電力不足
東急ストアに、ウェットティッシュを買いにいった。もし水が止まったら必要や。
【昨日の地震のため配送がなく・・・】という貼り紙がされてあって、軒並み食料品が欠品していた。パン、牛乳、御惣菜、生菓子などの棚は完全になかった。生鮮食品もまばらやった。

 ☆ ☆ ☆

国家石油備蓄基地が壊滅し、火力発電・原子力発電が軒並み止まっている。被災地の停電は、架線が切れるなどの直接的な要因もあるが、物理的に電力供給が不足してきている。政府は国民に節電を訴え、
輪番供給の可能性も出てきた。

さらに福島原発の1号機〜4号機のうち、1号機からは爆発が確認された。炉心融解が始まっているというニュースも流れている。

めちゃやばい。週が明けたら、日常的なサラリーマン生活のままだと思い込んでいるが、そうでない可能性が大きくなってきた。
情報を切らしたくない。テレビと携帯電話から離れたくない。

さらに関東・東京を囲むように、三陸沖の本震をきっかけに、新潟・長野・茨城で大きい地震が誘発されている。
三陸沖 M8.8→茨城沖 M 7.4→岩手沖 M7.5→福島沖 M5.8→宮城南部 M5.8→新潟中越 M6.6→長野 M6.7→千葉 M5.7。
これを絵で書いたら、ぐるっと
関東平野を囲んでいることになる。

実際、関東一円の工場が操業停止になっている。直撃していない今でも、物流に大きな影響が出ている。その上もし地震が東京を直撃したら・・・、大都市1300万人が食料を失ったら・・・、水道・電気・ガスのライフラインが切れたら・・・。

最悪のケースを頭の片隅に置いといたほうがええような状況かも。「ビビりすぎ」と言われようと、まだマシ。自分が被害にあって人に迷惑を掛けることを考えたら、まずは自分の安全からや。その上で人助けができる。
2011年3月12日(土)
テレビは、全チャンネルが緊急速報。
石油コンビナートは燃え、原発は緊急停止した。放射能漏れまで起こし、3km四方の住民が避難し、10km以内は自宅待機となっている。

これを書きながら、1時間に数回余震がある。ゆっさゆっさアパート全体が揺れ、そのたびに
体が強張る

東京は、嘘みたいにええ天気や。
2011年3月11日(金)
2時46分、東日本大地震

正式名称は、東北地方太平洋沖地震

午後2時46分、宮城県沖130km、深さ24km、マグニチュードは8.8。
阪神淡路大震災の180倍の地震エネルギー。


東京23区では、震度5強あった。

ぼくはオフィスにいて、ビルの2階や。東京は時々、カツーンという感じの小さい地震がある。ちょっと長く揺れるときもある。

地震が始まったとき「またか」と思いつつ、「いや・・・違う!長い!でかい・・・、でかすぎる!」と思った。
ガタガタガタガタと音が響き、わっさわっさビル全体が揺れた。オフィスは騒然とした。

おさまったか・・・。
と思ったら、すぐにでかい余震がきた。それが4・5回連続し、会社は一気に避難モード。「全員、一階に集まれ」と指示がでた。が、この数のスタッフが、1回の狭いロビーに集合するほうがよっぽど危険や。何かあったときに、群集心理がひき起こされてパニックを起こしやすくなる。あまりにもいい加減すぎる指示に、「それをわざと狙ってんのか?」とさえ思った。
指示はさらに極端になり、「隣りの公園に行きなさい」と指示になった。場当たり的すぎる。「あほか?」と思った。高層マンションに囲まれた狭い公園に、集めてどうすんねん高層のビルは、上層階ほど揺れる。そこから何か落ちてくる可能性が高い。外壁が剥がれ落ちて(飛んで)くる可能性があるところへ、行かせてどないすんねん?
それが的確と思うなら、せめて全員にヘルメットを着せるべきやろう。

想像力の欠落。思考力の無さ。それを補うための、日ごろの備えもない。落ち着いてるフリをし動じてないよう演じてるが、思考がパニックしてる。もし真剣に、社員の安全を考えて避難させたいなら、もうちょい考えろよな、とガッカリ。御粗末過ぎる会社。会社というか人材。

とはいえ「全員」と言っているので、不承不承従った。このぼくの態度が、彼らをイライラさせるんやろう。また腹いせを喰らうやろう。

 ☆ ☆ ☆

携帯電話とメールがつながらなくなった。
最初の地震のときに、携帯電話の緊急地震速報は鳴らなかった。

津波が三陸の海外沿いを襲った。「襲う」なんて映画のような過激な言葉やけど、海辺にある町村を全滅させた。タンカー船や漁船、家屋や車などすべてをごちゃまぜにして、あとには残骸だけとなった。

ぼくは、前夜終電帰りやったので、もともと今日は16時に早上がりする予定やった。明日スキーやったんで、その準備もしたかった。そのつもりで仕事は早々に終わる予定やった。

スキーはキャンセルした。
17時すぎに上がった。

中原街道を歩くと、神奈川方面へ車道は大渋滞。
歩道は、おそらくみたことないサラリーマンらが家路へ向かってた。
レンタカー屋、自転車屋に列が出来ていた。
大きい交差点では、警察が交通整理をしていた。
カクヤス長原店は、陳列していたお酒が落ちていた。店員さんたちは、お酒をモップでかきだし、割れたビンなどを片付けていた。

まだ都心は停電してないけど、
いつまた大きい地震がきて、電気・水道・ガスが止まるかわからん。東急ストアに寄って、水やカップラーメンと、カレーの材料を買った。カレーは一度作っておけば4・5日は持つ。

アパートに戻ると、予想してたよりも大丈夫やった。CDラックは倒れず、以外に、つっぱり棒が利いたようや。本棚は数冊だけ落ちていた。食器は棚のなかで倒れてる程度やった。CDラックの上のガンプラたちが、落ちていた。一つ一つ拾った。"MARKU"が砕け散ってた。
こんなことで、あえて自分を落ち着かせようとしてる。

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